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東京地方裁判所 平成4年(ワ)12909号 判決 1993年2月25日

原告

株式会社北八

右代表者代表取締役

後藤光次

右訴訟代理人弁護士

小林芳男

被告

有限会社明日香

右代表者代表取締役

米倉實

右訴訟代理人弁護士

石塚久

木内千登勢

海老原信彦

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を明け渡し、かつ、平成四年六月一七日から右明渡済みまで一か月金二〇万円の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が、本件建物の賃借人である被告に対し、敷金及び更新料の不払を理由に賃貸借契約の解除を主張して建物の明渡を求め、被告において、右解除の効力を争っている事案である。

一争いのない事実

1  原告は、平成元年六月二日、被告に対し、本件建物を次の約定により賃貸して引き渡した(以下「本件賃貸借」という。)。

(一) 期間 平成四年六月一日までの三年間

(二) 賃料 一か月一五万円、毎月末日限り翌月分払

(三) 管理費 一か月五〇〇〇円(ただし、右賃貸後、間もなくして一万円に増額)

(四) 更新料 新賃料の二か月分相当額

(五) 特約 被告は、三年後の更新時において、原告に対し、右の更新料を支払うほか、敷金として五〇万円を預託する。

2  原告は、平成四年五月末ころ、被告に対し、本件賃貸借の更新後の新賃料を一か月二〇万六〇〇〇円に増額する旨通知した上、同年六月九日到達の書面により、同年六月分の新賃料二〇万六〇〇〇円及び管理費一万円のほか、更新料として新賃料の二か月分相当額四一万二〇〇〇円及び特約に基づく敷金五〇万円、以上合計一一二万八〇〇〇円を右到達の日から七日以内に支払うよう催告するとともに、その支払がないときは右期限の経過をもって本件賃貸借を解除する旨の意思表示をした(以下「本件解除」という。)。

二原告の主張

1  被告は、本件解除に基づき、原告に対し、本件建物の明渡と右解除の日の翌日から右明渡済みまで一か月二〇万円の割合による賃料相当損害金の支払義務を負う。

2  被告の主張によっても、更新時の平成四年六月二日時点において、少なくとも従前の一か月賃料一五万円を基準にした三〇万円の更新料と本件賃貸借の約定による敷金五〇万円の各支払義務は免れないから、被告には債務不履行がある。そして、本件賃貸借の契約条件は、当初から、被告の事情を勘案して賃料を相場より安くし、敷金の支払を更新時まで猶予するなど賃借人に極めて有利かつ温情的な内容であるのに、被告は、賃料の増額にも応ぜず、敷金等の支払を遅滞したほか、本件建物を含む別紙物件目録の一棟の建物表示記載のマンション(以下「本件マンション」という。)の外壁改修工事の原告分担金に対する利用者としての応分の負担もしないから、信頼関係は著しく破壊されており、本件解除は有効である。

三被告の主張

1  被告は、原告に対し、本件賃貸借の更新後の新賃料等に関する原告の一方的な申出には応じられず、その折合いがついた後に敷金及び更新料を支払う意向を伝えていたところ、話合いをする間もなく原告が一方的に本件解除に及んだものであって、双方の支払合意が成立していない以上、合意更新を前提とする更新料及び敷金の弁済期は到来していないから、被告の債務不履行は存在しない。

2  仮に、弁済期が到来しているとしても、被告は、不動産仲介業者の再三の申出により、かつ、その作成した契約書の内容に従い、本件建物を前記約定により賃借したもので、敷金の支払は更新時まで猶予されたものの、別に礼金五〇万円を支払い、さらに、一〇〇〇万円くらいの内装費をかけて貸店舗にしたものであり、こうした点からすると賃料は当時としても高水準にあった。そして、被告は、右賃料を継続して支払っており、本訴係属後の平成四年一一月二六日には、敷金として五〇万円、更新料として三〇万円(従前賃料の二か月分)合計八〇万円を弁済供託したから、背信行為と認めるに足りない特段の事情があり、本件解除はその効力を生じない。

四本件の争点

1  被告の債務不履行の有無

2  本件解除の効力

第三争点に対する判断

一争点1(被告の債務不履行の有無)について

1  被告は、前記のとおり、本件賃貸借において、原告に対し、三年後の更新時において新賃料二か月の更新料を支払う旨約してはいたが、新賃料の具体的な算定方法があらかじめ合意されていたことを認めるに足りる証拠はない。かえって、本件賃貸借の契約書(<書証番号略>)には、特約事項として、賃料改定は三年毎に行うことを双方が合意する旨明記されていることに照らすと、新賃料の金額は、第一次的には、更新時における双方の合意によって定めることが予定され、したがって、更新料も、右金額の確定をまって初めて、その二か月分相当額の具体的債務として更新時に発生するものといわなければならない。

ところが、<証拠>(<書証番号略>、原告代表者本人及び被告代表者本人)及び弁論の全趣旨によると、(1)原告は、被告に対し、本件賃貸借の期間満了直前の平成四年五月末ころ、更新後の新賃料を一か月二〇万六〇〇〇円(消費税込み)、敷金を五〇万円とし、次回の更新時には礼金及び敷金の増額を協議するほか、賃貸借契約の期間を二年間に短縮する旨の契約書案を送付した上、同年六月九日到達の書面をもって、右新賃料を前提にした更新料の支払催告とその不払を停止条件とする本件解除をしたこと、(2)これに対し、被告は、同年六月一二日ころ、原告の一方的な契約条件の改定には応じられないとして、右支払要求を拒否するとともに、更新を前提にして、新賃料の円満合意が成立するまでの措置として従前の賃料相当額を支払う旨通知し、適正な賃料の増額であれば、これに応ずるべく、原告との交渉に臨む意向を有していたこと、(3)しかし、原告が、矢継ぎ早に、同年七月一〇日ころ到達の書面により本件解除に基づいて本件建物の明渡を要求したため、被告は、交渉の機会を逸し、やむなく従前の賃料相当額の支払を継続したことが認められる。

右事実によれば、新賃料については未だ合意が成立していないことが明らかであるから、新賃料の金額の確定を前提とする更新料も、本件解除前において、その具体的債務として発生していなかったものというべきである。この点について、原告は、被告は少なくとも一か月一五万円の従前賃料を基準にした更新料三〇万円の支払義務を有していた旨主張するが、更新料の算定方法は前記のとおりであるし、原告の右のような性急な交渉態度は、いたずらに被告を困惑させるものというほかはなく、こうした点にかんがみると、被告に原告主張のような右金額による更新料の支払義務があったとまでいうことはできない。

したがって、更新料の支払義務の不履行をいう原告の主張は、採用することができない。

2 次に、敷金についてみるに、被告は、本件賃貸借において、原告に対し、更新時に敷金として五〇万円を預託する旨約していたことは、前記のとおりである。敷金は、元来、賃借人の賃料その他賃貸借契約上の債務を担保するために賃貸人に交付されるものであって、その契約の締結時に授受されるのが通例であるから、右敷金預託の約定は、かなり異例の取扱いに属し、契約期間の満了の時点を基準にして、それまでの間に生じた賃借人の賃貸借契約上の債務を清算するとともに、更新後に生ずることのある賃貸借契約上の債務を担保する趣旨に出たものと解される。このような趣旨からすれば、平成四年六月一日の契約期間の満了時においては原告及び被告ともに本件賃貸借を更新する意思を有していたものと認められる本件において、右敷金五〇万円は、右満了時にその弁済期が到来したものというべきところ、被告は、本訴係属後の同年一一月二六日に至ってその弁済供託をした(<書証番号略>)のであるから、その限度において債務不履行があったといわざるを得ない。

二争点2(本件解除の効力)について

1  <証拠>(<書証番号略>、原告代表者本人及び被告代表者本人の各一部)を総合すると、以下の事実が認められる。

(一) 原告は、不動産業を目的とする会社であるが、平成元年一月、本件マンションの一階に位置しスナック店舗として使用されていた本件建物を銀行借入金により代金三一〇〇万円で買い受け、同年六月二日、不動産仲介業者である株式会社ダン(以下「ダン」という。)の紹介により、店舗の賃貸等を目的とする被告に対し、被告において造作設備を付加し、飲食業の店舗として他に転貸することを許容することとして、内装が全く施されていない状態の本件建物を賃貸した。

(二) 原告とすれば、借入金利の支払の必要からも賃料は一か月二〇万円ないし二二万円としたい考えもあったが、被告が店舗の賃貸業を始めてから未だ日が浅く、その成算の見通しも必ずしもなかったため、ダンの進言に従い、賃料を一か月一五万円とし、敷金の支払を更新時まで猶予するなど前記内容による本件賃貸借を締結し、別途、被告から礼金五〇万円を受領し、二か月くらい後に、双方合意の上、管理費を一か月一万円に増額した。

(三) 被告は、本件賃貸借後、約一〇〇〇万円を投じてスナック店舗用に本件建物の内装及び入り口付近の外装工事を行った上、スナック内装設備付の店舗として、同年七月八日、太田信夫に対し、一か月二七万五〇〇〇円、保証金一八〇万円の約定で転貸し、平成四年二月二五日には、中西厚子に対し、賃料一か月二五万円、保証金二〇〇万円の約定で転貸した。

(四) 原告は、その後、被告に対し、本件賃貸借の賃料を増額するか、又は本件建物を買い取るよう申し出たが、被告から断られたところ、平成四年五月ころ、本件マンションの外壁改修工事に伴って原告も分担金一四七万円を支出することが見込まれ、また、更新時も目前に控えていたので、被告に対し、改めて賃料増額の意向を伝え、同年五月末、前記のとおり賃貸条件を改定した契約書案を送付し、その後、前述のような経緯をたどった。

(五) 被告は、本訴の係属中、原告に対し、賃料の増額と更新料及び敷金の支払による本件賃貸借の継続を申し入れたが、前記分担金も支出した原告から、大幅な賃貸条件の改定案を提示され、にわかには合意が成立するめどが立たないため、同年一一月二六日、敷金五〇万円のほか、更新料として従前賃料の二か月分に相当する三〇万円、以上合計八〇万円を弁済供託した。

2  右事実及び前記一1の認定事実に基づいて検討するに、本件賃貸借の敷金が更新期まで支払猶予されたこと自体、かなり異例の取扱いである上、賃料も多かれ少なかれ一般の水準より低く設定されたのではないかと推測する余地があるが、それはさておき、少なくとも、原告とすれば、そうした認識を有していたことは明らかである。そして、被告が本件建物の転貸により利益を挙げながら、原告自らは、本件建物の買受けの際に要した借入金の金利の支払や本件マンションの外壁改修工事の分担金の支出を余儀なくされたことなどから、更新時において賃料等の賃貸条件の改定を考慮したとしても、無理からぬことであり、敢えて異とするに足りない。しかしながら、原告は、その内心の考え方はともかく、本件賃貸借の当初の約定を自らの意思で最終的に決断したのであり、その後、更新時における賃貸条件の改定という目的の実現を急ぐ余り、被告に対し一方的に自己の意向を伝え、性急に事を運んだため、被告を困惑させ、円滑な契約内容の改定を行うことができず、ひいては被告の反発すら招いたことが容易に推認されるのである。そうとすれば、被告が前述のとおり本件賃貸借において更新時にその支払を約していた敷金の支払を遅滞した点も、こうした事情の下において理解されるべきものであり、原告が所期した目的は、別途、被告との交渉なり賃料増額請求権の行使等によって実現されるべき筋合のものであるといわなければならない。他方、原告及び被告とも、更新時においては、本件賃貸借を更新する意思を有していたのであって、更新前の賃貸期間中において、敷金によって担保されるべき被告の賃貸借契約上の債務不履行の事実が具体的に顕在化したような形跡もないばかりでなく、被告は、原告に対し、敷金とは別にこれと同額の礼金を支払っており、期間満了後、新賃料の円満合意が成立するまでの措置として従前の賃料相当額の支払を継続し、敷金については、本訴係属中とはいえ、その弁済供託をしているのである。原告は、被告が、本件マンションの外壁改修工事の原告分担金に対する利用者としての応分の負担をしない点をとらえて、信頼関係が著しく破壊された旨主張するが、原告及び被告の間において、被告が右のような内部負担をすべき合意が成立していたことを認めるに足りる証拠はないから、右主張は、にわかに採用することができない。また、原告代表者本人が指摘する被告の転貸による収益の点も、そもそも本件賃貸借が、当初から、転貸を許容し、かつ、被告において貸店舗用に内装工事を行った上で他に転貸することを前提にして締結されたものである以上、原告が容喙すべき事柄ではない。

以上のような諸点にかんがみると、被告の前記債務不履行はあっても、著しく不誠実な賃借人として非難することは当たらず、本件賃貸借の背信行為と認めるに足りない特段の事情が存在するというべきであるから、原告のした本件解除は、その効力を生ずるに由ないものといわざるを得ない。第四結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、理由がないから棄却することとし、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官篠原勝美)

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